考える冒険

※「信ずることと、知ること。」から引っ越してきました。

「読む」のこれから~考える冒険(1-2)「読む」リズムとスピード

 

こんにちは。

昨日(23/03/13)は、「読む」とは身体的行為、少なくとも身体を「伴った」行為であることを書いたつもりでいます。今回は、その「読む」についての考察の2回目として、「読む」に際してのリズムとスピードを考えてみたいと思います。少なくとも、ぼくはそのように読むと、快適さが確保もされ、読むことが促されることを書こうと思っています。決して押しつけではなく、あくまでも「自分はこうだ」ということについて書く予定です。

リズムを見つける

本稿では大きく、まさに読んでいる最中のことと、読むことの間隔という二つに分けて扱おうと思います。前者については、次の項目で一括して扱うので、先に一日や一週間などの間で「いつ読むのか」というリズム、あるいはサイクルという点を振り返ってみます。つまり、まず自分が読むのに適した(=快適な)時間帯やタイミングを見つけるとよいことに触れてみます。

これは端的に言って、体調に耳を澄まそうということです。いわゆる朝型の人も、夜型の人もあると思いますので、ご自分にとって、まず一日の中でどの時間帯が読書に適しているのかを、しばらく試してみるのがよかろうということです。

ぼくの場合、双極性障害に加えて睡眠時無呼吸症候群がありますので、どの時間帯が読んだり書いたりするのに適しているのかを言うのが難しいです。それでも、心身のエンジンがかかるまでは、なるべく無理をしないように努めています。

また、一週間くらいのスパンでもリズムやサイクルがあるようなので、それにも注意を払っておきたいと考えています。ポイントは、「がんばらない」ということだろうと思っています。

スピードを見つける

本稿でお伝えしたいことは、むしろ次の点です。とはいえ、これはまさに「仮説」レベルのことなので、信憑性がどれほどあるのか定かではありません。それを含みおいていただいた上でまとめて言うと、「文章が書かれた・生まれたリズム」というものがあって、それと一致ないし近いリズムとスピードで読むとよいのではないかということになります。

残念ながら、どうすれば読むリズムとスピードの最適解を見つけられるかという点についてまでは言及できないのですが(力不足と検証不足)、いわば書き手の思考の呼吸のようなものを探り当てることもまた、「読む」行為の一環なのではないかと考えているということです。この二つ(「書く」リズムと「読む」リズム)が一致したとき、「読む」はまさに創造的な営みとして立ち現れるとぼくは思っています。

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今回は以上としておきます。また改めて1-3「『読む』ときに起きていること」を書かせていただくこととしますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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