考える冒険

※「信ずることと、知ること。」から引っ越してきました。

【読了】頭木弘樹『自分疲れ』

こんにちは。

創刊時から注目していたシリーズ「あいだで考える」(創元社)の第一弾として刊行されていた、頭木弘樹さんの『自分疲れ』を読了しました。「10代以上すべての人に」と銘打たれている本シリーズは、若い人にも手にしてもらえることを意識した造りとなっています。果たして良書だったので、「読了記録」を残しておきます。

 

 

「あいだで考える」シリーズ

本シリーズの「創刊のことば」に、以下のようにあります。

  • 本を読むことは、自分と世界との「あいだに立って」考えてみることなのではないでしょうか。
  • 読書が生きる力につながる実感を持ち、知の喜びに出会っていただけますようにと願っています。

本巻は「ココロとカラダ」のあいだを副題としており、続巻にも

  • 人と人のあいだ
  • 被害と加害のあいだ
  • いのちと価値のあいだ

等々の副題がつけられています。どちらか一方(あるいは両方)についてではなく、その二者が出会い、その「狭間」で生起するしていることを考えるという意味あいだと思っています。若年層向けに丁寧に造られるだろうことと併せて、注目していきたいシリーズです。

頭木弘樹さん

「文学紹介者」として活躍している頭木さんの生年は、ウィキペディア上に記載はありません。ただし、「20歳から18年間闘病」との記載からの推論はできます。

ぼくが頭木さんを知ったのは、カフカの絶望名言に関する本(手元になし)であって、Eテレ「100分de名著」のカフカ『変身』の回の最終話でゲストとしてご出演されていたのも拝見していたのでした。SNSでもマメにご返信をくださるので、勝手に親しい人として認知しています(笑)。

若干の読後感

  1. 文学を含めて、さまざまな著作からの引用を駆使して、「ココロとカラダ」のあいだを考えていかれてます。
  2. 仏教では「色心不二(=しきしんふに)」と言って、ココロとカラダとは、二元論的に相対するものではなく、むしろ「不可分」なものととらえていることを想起させます。
  3. ぼくは、意識の力、意思の力(=ココロ)と、身体の力、体力(=カラダ)とが「分かれる」以前の、より根源的な状態として、「生命力」(=いのち)を想定していますので、それとも近しいと考えました。
  4. しかし、もう少し「自分に疲れ」ている状態について書き込まれていた方が良かったかもしれないと思いました(ということは、ぼくはあまり自分に「疲れ」ていないのか?)。
  5. ぼくが考えている「自分疲れ」の状態、あるいは、その原因は、「自分らしさ」とやらを過度に追及させられていることなのだと思います。何が自分なのかわかっていないのに、それらしくするというのはさすがに難しいと思うのです。
  6. あるいは、「同一性」の保持が難しい。環境は刻々と激変するのに、それに対応や適応しようとすることの疲れがあるのだと思います。

          *       *       *

今回は以上といたします。最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!