考える冒険

※「信ずることと、知ること。」から引っ越してきました。

ごあいさつ(固定記事)

こんにちは。

恥ずかしながら、はてなブログProの契約期間更新に失敗しました。それに伴って、「Yorimichi-Online」名義で展開してきたブログの同一URLでの継続が困難になってしまいました。応急処置として、全データのバックアップを行いました。

次に、移行先のとして、新規サブアカウントの「bookforest2023」を開設いたしました。前出アカウントでのブログがどうなるのかを見極めてから、はてなブログProコースを再契約する可能性は残されています。そうなった場合には、改めてお知らせいたします。

取り急ぎ、ごあいさつまで。今後ともよろしくお願い申し上げます。

しょうじ

【作業報告】

①旧Yorlmichi-Onlineアカウント名義でのブログを削除ないし非公開として統廃合を進めています。

②当ブログを「はてなブログPro」として再登録いたしました。

③バックアップデータのインポートを進めていますが、ブログ内リンクが有効になっておりません。ご了承ください。

④当記事を、ブログのトップページに固定させました。

【有料記事についての考え方】

随時ご購入いただける記事を増やしてまいります。有料と表示されていても、そこまでで本文の内容はほとんどが表示されています。もし、お読みの上で、お気に召してくださった場合には、お駄賃を渡すくらいのお気持ちでお支払いの手続きを進めてくださいますと、今後の励みとなります。ご検討ください。

 

【企画案】定期的にPodcastで対談的な企画を継続したい件

こんにちは。

表題の通り、SpotifyのPodcastでゲストをお招きしての対談企画を連続でやってみようとしています。と言っても、決まっているのはここまでです(笑)

たぶん、なんですが、私の趣味である読書やクラシック鑑賞、映画鑑賞等についての歓談的なものがコアのコンテンツになりそうですが、ご参加くださる方の「よさ」にもフォーカスできればと思っています。イメージとしては、「対談」と「インタビュー」との中間あたりを狙っています。そうそう、「相互インタビュー」*1といった感じでしょうか。時々、攻守所を変えてのインタビューを「し合う」ような。

今は、お三方から問い合わせを頂戴していて、いずれ打ち合わせをしたいですとの返事をさせていただいたところです。おいおい詳細を公開できるものと考えているのですが、今日のところはここまでとしたいと思っています。それではまた!

*1:これは、横道誠さんと頭木弘樹さんのご著作から着想を拝借しています

【レジュメ】24/01/02「100分de宗教論」を視聴して

こんにちは。

24/01/02(火)に、Eテレで「100分de名著」のスペシャル編として、「100分de宗教論」が放送されました。今回のエントリーは、1/11(木)21時からのclubhouseルームに供すべく作成いたしました。お読みいただき、ご参加を検討くださいますと幸いです。

www.nhk.jp

 

採用されたテキストと解説者

1)フェスティンガー 『預言がはずれるとき』(釈徹宗)

2)ニコライ 『ニコライの日記』(最相葉月)

3)杉本五郎 『大義』/城山三郎 『大義の末』(片山杜秀)

4)遠藤周作 『深い河』(中島岳志)

1)『預言がはずれるとき』

1950年代のアメリカで、外星人から「洪水で人類が滅びる」という「メッセージ」を受け取ったという婦人の元に形成されたコミュニティへの参与観察に基づいた著作。その預言が当たらなかった時、コミュニティの結束はかえって強くなったことについて、「認知的不協和」理論で解説されていました。また、コミュニティへ参加した大学教員の父親を持つ娘の行動から、今日言うところの「宗教二世」的問題も視野に入っていたと言います。

2)『ニコライの日記』

焼失されたと考えられていた、明治期日本に滞在した正教の大主教・ニコライの貴重な手記です。ニコライは、地域地域の風俗に配慮しての布教を心がけるよう指示していたとのこと。また、明治期には、カトリックやプロテスタントの方が、日本では歓迎されていたことが綴られています。ことに、プロテステントは資本主義の勃興期であったことからも、親和性が高かったと番組では指摘されました。

3)『大義』『大義の末』

中国へ出征した一軍人の家族宛ての手記が公刊され、130万部という大ベストセラーになったことが指摘されました。真宗の信徒でありながら、天皇への帰一を叫び、それがやがて日本中で受け入れられていくさまが不気味でした。

4)『深い河』

最晩年の遠藤の重要作品です。主人公が乗り合わせたインド・ツアーには、さまざまな「宗教的」動機を持った人々が居合わせていました。

メモ

  1. 『深い河』『ニコライの日記』は、かろうじて著作名のみ知っていたものの、全体としてはどんな展開となるかは全く想像できませんでした。
  2. 初登場となる最相さん、片山さんに期待大でした。
  3. 「認知的不協和」理論の由来がうかがえたのはよかったと思います。また、ウェーバーが言う「苦難の神義論」(信義論か?)との関連を深めていきたいと考えました。
  4. 「内なる老若男女を育てる」(釈徹宗)=相反する要素を「敢えて」内側に抱え込むことが大切だという指摘は重要だと思いました。
  5. 明治15(1882)年に至っても、子殺しなどの「前近代的」習俗が残存していたことが紹介されました(『ニコライの日記』)。
  6. 「一君万民」と「万民祭司」が親和的であったとされました(中島岳志)。
  7. 正教の「霊性」=内在する聖性(中島)。
  8. 日露戦争(1904-05)に直面したが、「日本のために祈りなさい」としたニコライ。
  9. ソ連時代に抑圧されていた宗教だが、ソ連末期にはカルトが跋扈し、ロシアとなってからは権威的なものとして復権した(釈)。
  10. 明治30(1897)年時点で、ニコライの元に「日本人にとっては天皇が神より上、伝教学校を辞めます」という学生が来ていた(最相)。
  11. 「日常生活の全てが禅」と「天皇崇拝」の合せ技(釈)。
  12. 杉本五郎の後世への影響(吉本隆明や奥野健男、城山三郎『大義の末』など)。
  13. 動き出した宗教体系は「なかったこと」にはできない=亡くなった人がいることで、「なかったこと」にはできない(釈)。
  14. 「戦友会」のエピソード(最相)。
  15. 磯辺/美津子/木口/沼田らの訪印(『深い河』)。宗教多元主義。
  16. 美津子と大津の関係に注目。美津子に棄てられた大津は、「あの方」からの「おいで」という声を聞く(『深い河』)。玉ねぎ。
  17. 意志(わたし「が」)と「与格」(=わたし「に」)(中島)。
  18. 全てが受動態になる(最相)。
  19. マザー・テレサ(最相)。それぞれの「ガンジス河」を探す。
  20. 愛の真似事/祈りの真似事(釈)。信じる宗教/行う宗教、感じる宗教。
  21. セルフ・カウンセリングとしての墓参した寺院の焼失(伊集院)。
  22. 「人間の河があることを知った」(美津子)。「それぞれの辛さを背負ってこの河で祈っている」「その人達を包んで河が流れている」。
  23. 「信仰とは90%の疑いと、10%の希望」(最相)。
  24. 二人の朗読(瀧内公美)、特に黒田大輔さんの凄み。

*        *        *

 

以上を、考えるヒントとしていただけましたら幸いです。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!

 

 

対話を「始める」ために

こんにちは。

今回は、clubhouseで行っているルーム「100分de名著を語ろう」の席上であった発言に促されて考えたことを綴ってみようと思います。今月度(2023年12月度)のテキストは、中江兆民の『三酔人経綸問答』でした。テキスト執筆と番組での解説担当は、平田オリザさんです。なお、放送やテキストは、光文社古典新訳文庫版を基としていました。

 

 

放送やテキストでは、恩寵として「与えられた民主主義」を、恢復されたもの、獲得したものとしての民主主義へと鋳直すための「対話」の重要性が繰り返し強調されていました。

しかしながら、そうそう「対話」が、日常生活の中で生まれるとは考えにくい。何となれば、対話とは「さあ、これから私と対話しましょう!」というようなものでは「ない」からだと思うのです。したがって、標題に掲げているような対話の「ためにする」準備というのは、実は矛盾をはらんだ言い方なのかもしれません。

とは言うものの、これやそれは対話「ではない」、あるいは対話と「似て非なるもの」を比較検討したり、迂回することで、対話「らしきもの」へと近接することは可能なのかもしれません。以下、ランダムに綴ってみます。

まず、対話とは予め用意された結論へと導くためのものではないことから考えましょう。特に、自分が用意した結論へと導こうとするものは、せいぜい「操作」であり、場合によっては「押しつけ」とされてしまうでしょう。大切なのは、未知のゴールや着地点へ向けて、自分を開いておくことだと思います。

そのためにも、「結論」を出すことを急がないことが大切だろうと思います。場合によっては、「この続きは、また次の機会にしよう」との態度も必要かと思います。話し合っている限りにおいては、最悪の事態=殺し合いにはならないからです。そういう点では、対話とは、対話を続けること「自体」に、コミュニケーションが継続されること自体に価値があるものなのかもしれません。

もう1つつけ加えます。今までのことからすると、「択一問題」は、少なくとも対話「ではない」ことがわかってくると思います。「AかBか」ではなく、オープン・クエスチョンは基本的な態度なのかもしれません。

もう少し続けます。対話とは、会話や雑談、またはおしゃべりや相談など「ではない」とすることは可能です。しかし、そういったことが素地として日常的にできていないところには、対話は少なくとも生まれにくいのではないでしょうか。つまり、日常的に自分の頭で考え、自分の言葉で語ること。これが「特別なこと」ではないようにしていくより他には、豊かな対話は生まれにくいのだろうと思っています。また機会があれば、考えを深めていきたいと思います。

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今回は以上といたします。最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!

 

 

運命/宿命/業~『流転の海』に寄せて

こんにちは。

私(たち)は現在、宮本輝さんの大作『流転の海』シリーズ全9部を読書会で読み進めていて、つい先だって第5部『花の回廊』が読了できたところです。

ご参加くださっている方々が、12月26日(火)より、第1部『流転の海』についての「輪読会」を企画してくださり、第2章までを再読いたしました。ここで改めて気がついたことがありましたので、それを簡単にまとめてみようと思います。

 

 

今日(12月27日)読んだ第2章から引用します。

「それもまた宿命というもんじゃろうのお・・・」

 熊吾は我が子に語りかけた。自分の口から出た宿命という言葉は、そのとき妙に底深い、黒々とした(※)魔物のように感じられたが、同時に、天から授かったとしか思えないこの伸仁という一粒種が、あるいは想像もつかぬほどの、光満ちた洋々たる宿命を帯びているやもしれぬではないかとも思えるのだった。(新潮文庫版 p.31)

※ここでの「黒」は左半分が「黒」で、右半分が「音」と表記。

もう一か所。

天は俺に子供をくれた。それには何か深い意味があるのだ。この人生に、偶然などありはしない。人間がかってに偶然だと片づけているだけだ。(新潮文庫版 p.42)

私は、この2か所の引用から、『流転の海』シリーズ全巻(もちろん、既読の第5部までですが)及び、『錦繍』などの他の宮本文学にも共通の思想性、あるいは「テーマ」を感じました。それは、あとで小林秀雄の『モオツァルト』で語っていると検索してわかった、「命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である。だが、空想的ではない」ということに通じるものを感じているのです(恥ずかしながら、小林の当該の文は未読なのですが)。

ここでは考える補助線として、さらに「運命」と「業」という言葉を対置し、「運命」「宿命」「業」の3つを並べて考えてみたいと思います。

まず、「運命」です。運命とは、例えば「運命に翻弄される」という使われ方に現れているように、自分の「外」にあり、「外」から運ばれてくるものとして使われることがあるように思います。先の引用に当てはめると、「偶然」に相当するのではないでしょうか。

その一方で、「宿命」とは「宿す」という字義が体現しているように、外というよりはむしろ、自分自身の「内側」「内奥」に宿すものという意味合いが強くなるように思います。

さらに、「業」という仏教用語には、自らの行いや思考等々が、いわば自身に蓄積されていくというイメージが付与されています。

つまり、運命<宿命<業の順で、偶然性よりは必然性の要素が濃くなると言えます。しかし、重要なのはここからです。宿命や業が、予め決まっていて「変えられない」ものとしてあるのではなく、自らによる色彩が濃くなることからむしろ、自らの「行い」により(ある宗派では、それを「一念」としている場合があります)「転換」し得ることが主張されています。

このことから、おおよそ次のようなことが言えるのだと思います。つまり、主人公である松坂家の熊吾・房江・伸仁の親子3人は、時として「運命」に翻弄されこそすれ、それに抗い、宿命あるいは業の転換に向けて、意識せずとも歩んでいる。そのことが、『流転の海』シリーズ全編を貫こうとしているモチーフの、少なくとも一つであると言えるのではないでしょうか。このことを「再認識」させられた今回の再読の機会を設けてくださったみなさんに、心から感謝したいと思うのです。

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今回はここまでです。お読みくださり、ありがとうございました。それではまた!

 

 

【投稿】サンクチュアリを見つける(増補版)

こんにちは。

過日参加したZoomイベントで、種々発言をさせていただいたところ、主催の方から「ご発言を会報に投稿してほしい」とのご依頼をいただきました。以下、その「投稿」に手を加えてブログ記事として再投稿いたします。元の文は「だ・である」で書きましたが、本稿では「です・ます」に改めた上で、さらに「追記」をしてあります。

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先日、SNS上で見かけた「YAA!」(日本子どもの本研究会ヤングアダルト&アート・ブックス研究部会)のオンラインイベントに、お許しを得て参加させていただいきました。映画『プリズン・サークル』の坂上香監督の近著『根っからの悪人っているの?』(創元社)を巡ってのZoomイベントです。

この著作は、映画『プリズン・サークル』で撮影に応じた元受刑者からのお二方や犯罪被害者の方を交え、坂上監督をホストとして、4人の若者たちによる5回の語らいを収めています。このオンラインのイベントでは、本著についての語らいが、坂上監督ご本人を交えて進められました。

「本を読んだ方の意見を聞きたい」として、席上「サンクチュアリ(=聖域)」に関して語らいが弾みました。そこでの発言を踏まえ、この稿では、その「サンクチュアリは『可能』か」と言う観点から、試み(と、ご提案)としての「読書会」ということを書いてみたいと思います。

さて、「読書会」とはどういうものなのか。一般的な理解は、実はまだ進んでいないと思います。例えばそれは、「集まって音読するんですか」(それは「読み合わせ」です)という反応が返ってきた時に感じてしまいます。しかしながら読書会とは、一つにはそれぞれが読んで面白く感じた本を紹介し合うものであり、もう一つとしては、特定の本(以下、「テキスト」とする)を読んだ上で、意見や感想を交わし合うものです。この稿では、専ら後者について述べるものといたします。

ここ3~4年のコロナ禍の影響があって、読書会は大きく様変わりしたと言えます。つまり、ZoomやDiscordといったオンライン・アプリを使った、「オンライン」での開催の台頭です。このことは、読書会の開催と参加の敷居を、大きく下げたものと考えます。私は、この読書会を開催する、あるいは参加することは、開催したり参加するそれぞれの人にとっての「サンクチュアリ」につながる可能性が大きいと考えています。

読書とは、原則としては「孤独」「個別」の作業である「はず」であり、また、そうある「べき」とも言えますが、しかしそれだけにはとどまらない可能性もあると私は思っています。

例えば、誰かと一緒に映画を見た時のことを考えてみます。あるいは、食事をした時のことでもいい。見たり食べたりした後で、「おもしろかったね」「おいしかったね」と、言葉を交わすことは、至極自然なことと言えないでしょうか。話が弾めば、映画がおもしろかったこと、食事がおいしかったことが、一層強く味わえるのではないでしょうか。

実は読書も同じなんです。読後感をシェアすることで、それが一層深まります。不思議なことに、本を通してであれば、ふだんなら話さない/話せないことが話せるようになるんです。これは実に、本を、読書を「通じて」、「わたし」を語ることであり、「あなた」を知ることになっています。

もう少し続けてみましょう。実は、読書会の歴史はかなり古いものであると考えています。江戸時代の寺子屋での「素読」も、ある意味「読書会」であったと言えます。さらに、活版印刷が登場する以前、中世のヨーロッパで、大学や教会に秘されていた書物を書き写して伝承していったことも、「読書会」かもしれません。

さらに言うと、イエスや釈尊、あるいはその高弟たちの言葉や手紙などは、信者たちが集って読み、語り合い、励ましあったはずです。鎌倉期の仏僧・日蓮が信徒に託した手紙も、寄り集まって読まれましたし、江戸時代に禁じられていたキリスト教も、ひっそりと、しかし「確かに」読み、語り継がれてきました。これらも「読書会」とは言えないでしょうか。

そう考えると、「わたしたち」の歴史とともに、「読書」あるいは「読書会」の歴史は、すぐ隣りにあったのです。そこに「サンクチュアリ」を見出すこともまた、可能なのではないかと私は考えます。

しかし実は、読書「について」語ることが重要なのではなくて、それを通じた「語り」のうちに、「わたし」や「あなた」が表出され、やがてそれは「わたしたち」となっていくことこそが重要なのだと思います。YAA!の今後のご活躍とご発展に期待しています。

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今回は以上となります。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!

【オンライン】今年の読書を振り返る②

 

こんにちは。

12月19日(火)20時から、Discordサーバ内で6名の参加者を得て、2023年の「推し本」をそれぞれにご紹介いただきました。男女構成は、女性2名男性4名。初参加も2名と盛会になりました。ご参加くださった方々には、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

この記事は、その際にご紹介いただいた著作をリスト化したもので、それぞれは、Amazonサイトへのリンクが設定されています。なお、発表された順で掲載していますが、誰が何を発表したのかについては、わからないようにしてあります。お含みおきください。

※Amazonのデータベースの表記法が統一されていませんが、登録されたまま利用しています。お許しください。

Aさんから

1)新約聖書 福音書 2023年4月 (NHKテキスト)

2)〈読む〉という冒険 イギリス児童文学の森へ (岩波ジュニア新書)

3)ウツ婚!! 死にたい私が生き延びるための婚活(1) (コミックDAYSコミックス)

Bさんから

1)ハンチバック (文春e-book)

 

2)往復書簡 限界から始まる (幻冬舎単行本)

3)はーばーらいと

Cさんから

1)都市と星(新訳版)

2)コナン・ドイル ショートセレクションII 名探偵ホームズ 瀕死の探偵 (世界ショートセレクション 23)

Dさんから

1)世界でいちばん透きとおった物語 (新潮文庫 す 31-2)

Eさんから

1)女を書けない文豪たち イタリア人が偏愛する日本近現代文学 (角川書店単行本)

2)そこに私が行ってもいいですか?

3)根っからの悪人っているの?: 被害と加害のあいだ シリーズ「あいだで考える」

Fさんから

1)集団的自衛権の思想史──憲法九条と日米安保 (風のビブリオ)

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リストは以上となります。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!