考える冒険

※「信ずることと、知ること。」から引っ越してきました。

100分de名著テキスト『福音書』を読みながら・まとめ~ユダと提婆達多をめぐって

こんにちは。

ぼくがEテレ「100分de名著」を見るようになってからは、既に数年が経っていて、clubhouseで「100分de名著を語ろう」というルームを開くようになってからでも、もう2年が経ちました。その間、一貫してぼくを啓発してくださっていたのが、若松英輔さんでした。今回(2023年4月度)放送の『福音書』の回では、特に強く感じ入るところがありました。若松さんは一人の信仰者でありますが、ぼくもまた仏教系の信仰を有している(と自負している)からこそなんだろうと思っています。

この『福音書』の放送の完結にあたって、偶然ですが自分が開催している読書会で読んでいた、宮本輝さんの『天の夜曲』(『流転の海』全9部作の第4部)の冒頭において、釈尊を裏切った提婆達多(だいばだった)に関する記述がありました。この記述が『福音書』におけるユダについての言及と、痛く響き合いましたので、今回のブログではそのことを書いてみようと思います。しばらくおつき合いくださいますと幸いです。

 

 

今までにも、新約聖書から汲み出せるものと、仏教とは親近性があることを述べてきたつもりですが、このブログ記事でも、同様にユダと提婆達多とに、ある「共通する」因子を感じ取りました。

それを書く前に、まずキリスト教と仏教は、どれくらい「離れて」いるかを俯瞰しておきます。キリスト教の成立については、どの歴史的事象をもって「成立」とするのか、論の立て方によって違ってくるように思います。ここでは、キリスト教の最重要の聖典である「新約聖書」が成立した紀元1~2世紀としておきます。

一方の仏教です。これも、どの段階で「成立」と見るかはさまざまな議論があるように思います。歴史上の実在した釈尊(ブッダ)は、紀元前6~5世紀の人物であるとされています。つまり、この二者では、仏教の方が歴史的には「古い」存在であることがわかります。しかしこの点から、両者の親近性を指摘するにあたって、仏教がキリスト教に影響を与えたという見方は慎むことにします(相互浸透ということはあったと考えていますが)。紀元前における400~500年の「タイムラグ」と、地理的な距離とを考えると、それぞれに独立した発生と展開を見せるはずなのですが、この両者から汲み出せるものには共通するものも多いのにはむしろ驚くべきでしょう。もちろん、「だから違いはないんだ」というのも、厳に慎まなければなりません。これらのことを踏まえた上で、以下からは、ユダと提婆達多それぞれについて見ていきます。

ユダ(イスカリオテのユダ)

師・イエスを密告したことで、「裏切り者」の代名詞とさえされるユダは、12使徒と言われる、いわば「高弟」の一人として描かれています。重要なのは、「にもかかわらず」イエスを裏切った、あるいは裏切らざるを「得なかった」ことを考えることだろうと思います。以下、若松英輔さんの放送テキストの記述を参照しつつ、考えていきます。太文字にしてある部分は、放送テキストからの「引用」です。

「使徒」とは、ある使命を託され、神の使いとなる人、ということです(略)ここでもっとも重要なのはイエスが彼らを選んだという記述です。

弟子たちがイエスの弟子になることを欲したのではなく、イエスが選んだ。神の子であるイエスは、すでに自分が裏切られるということを知っています。それでも、自分を裏切る相手を弟子にし、「使徒」にしたのです(p.92)

イエスを裏切ったのは、一人ユダだけだったのではなくて、他の高弟たちも「裏切った」のですね。このことには、注意を払っておいてよいと思います。つまり、イエスは裏切られることを知りつつも、弟子として迎え入れた。その「弱さ」をも「丸抱え」にしているところは重要だろうと思います。後ほど「弱さ」と「悪」という点についても記述していきますが、この二者には関連性があるものと、ぼくには思われています。

また、福音書(「マルコによる福音書」)には、

人の子は去っていく。しかし、人の子を裏切るその人は不幸である。むしろその人は、生まれなかったほうがよかったであろう(p.95)

とあります(フランシスコ聖書研究所訳注による)。「人の子」とは、イエスです。つまり、「イエスを裏切るその人」となるわけで、「その人」とは、第一義的にはユダなのですが、実はユダだけが、師・イエスを裏切ったのではありませんでした。

例えば、ペテロは三度イエスを「知らない」と言って立ち去りました。これも「裏切り」です。また、拡大解釈すれば、イエスを磔にせよとした当時の人びともまた全て、イエスを「裏切った」とぼくには思われます。しかし、テキストはユダやペテロを弾劾するために取り上げてはいませんでした。

愛する師を裏切らねばならないとは、何と過酷な人生だろうという憐れみの言葉であるように感じられます(p.96)

つまり、師を裏切ることは、むしろ生まれてこない方がマシなくらい過酷なことであるとして、弟子「たち」を抱擁していると言うのです。

とは言え、これらの記述はイエスの愛の深さや強さ、大きさを称えるためにあるのではないとぼくは考えています。そのことについては、一度提婆達多について言及をしたあとで、「まとめ」として再度立ち返ってみることにしたいと思います。

提婆達多

ここからは、仏教における提婆達多という点について、宮本輝さんの小説『天の夜曲』での記述を参考に見ていきます。それが済んだら、ユダと提婆達多の双方について、並べて考えてみたいと思います。

提婆達多とは、釈尊の近親者にして、教団の指導的立場にあった一人です。しかし、釈尊を亡き者にと企てた人物として知られており、経典では、生きたまま地獄に堕ちたとされています(が、後に成仏を許されています)。

 

 

小説『流転の海』全9部は、松坂熊吾と房江の間に産まれた伸仁を加えた親子3人を描いている大河小説です。実は伸仁とは、宮本さんご本人がモデルであり、熊吾と房江も、宮本さんのご両親がモデルとなっています。

伸仁は、熊吾が50歳にして初めて授かった実子で、その誕生から大学入学までを、昭和史の実際を背景としながら描いていくのがこの小説です。

提婆達多もまた、釈尊の「高弟」の一人でした。彼について言及されているのは、第4部の『天の夜曲』第1章でのことです。熊吾は再び大阪で、さまざまな事業を展開していましたが、そのうちの一つの事業のパートナーが病で倒れたのです。そのことも含めて、いくつかの予期せぬ躓きのため、熊吾は捲土重来を期して富山に居を移します。その事業のパートナーの病は、その彼が自ら呼び込んだものと熊吾が述懐するシーンがあります。

自尊心か・・・。これもまた人間にとって恐ろしい敵だ。自尊心という敵に最も弱いのが、じつはこの俺だ。

釈迦は、自分の弟子のひとりである提婆達多と並いる人々の前できつく叱り、汝は愚人なり、人の唾を食らう者なりと辱しめたという(p.55-56)。

このようにして、人の心の精妙さが、裏切りや不幸を招くことがあることが書かれていきます。熊吾もまた、何人かの男に敵対されるのですが、それは他人の前で面罵したことが原因となっていました。熊吾は、釈尊同様、人の叱り方を間違っていたのではないかと思っているのですが、やがて「釈尊が間違っていた」と考えていることが間違いであるとの思いに至ります。

釈迦はなぜ提婆達多を満座のなかで叱責し、お前は愚人で、他人の唾を食うような男にすぎないという言葉を使ったのか。釈迦は、それによって人間の自尊心がどれほど傷つくか、十分すぎるほど知っている。

提婆達多よ、どうだお前の自尊心は傷ついたであろう。さあ、これからどうする。私に敵対し、教団に災いを為し、誓い合った大きな目的を捨てていくのか(略)

そうなのか。お前には自尊心以上に大切なものはなかったということか(p.58-59)。

長い引用でしたが、ここでは容易に釈尊の「厳愛」を見出すことが可能です。

2人の共通項とは

ともあれ、提婆達多は釈尊に敵対し、その罪(「破和合僧」といいます)によって地獄に堕ちる「悪人」として扱われますが、のちに成仏を許されているのは先に書いた通りです(悪人成仏)。

2人には、実はともに「優れたリーダーとしての資質」という共通点を見出すことができます。しかし「それゆえ」師に敵対し、裏切る、あるいは裏切らざるを得なくなるのです。しかも、2人ともに救済されています。

「優れている人間」ゆえに陥る罠とは、自身を他人と比較し、勝ろうとしてしまう傾向があることだろうと思います。仏教では「勝他(しょうた)の念」と言い、修羅界の生命に通じるものさえあると指摘されています。熊吾の言う「自尊心」とは、まさしくこの「勝他の念」=修羅界の生命であり、釈尊はその提婆達多の修羅界の生命を「斬った」のではないでしょうか。

「弱さ」と「悪」ということ

もう一歩、論考を進めます。ユダについては、明示的な記述はなかったのですが、優れた資質ゆえ、イエスと相容れない部分が出てきたとされていたと思っています(間違っていたらご指摘ください)。イエスを連行しようとする兵たちと現れたユダに向かって「友よ、しようとしていることに取りかかりなさい」と告げます。そうして、イエスは捕らえられるのです。ここについて若松さんは、

イエスがどうしても最後に背負わなければならない試練を準備する人、それがユダだったのです(p.102)

としています。イエスにとっては、ユダの裏切りさえもが必要なことだったとしているのではないでしょうか。

ユダのイエスへの敬慕の念とその資質とは、どこかで「勝他の念」とつながってしまったのではないか。提婆達多にも「勝他の念」はあり、仏教を広め、万民を救済するためには、その小さな「勝他の念」を「克服」しなければならない。釈尊はそのことを指摘したのではなかったか。大事なのは、それを「捨てる」ことなのではないと点であることを考えておきたいと思います。

自尊心といい、勝他の念といい、そのもの自体としては、ある意味で人間を向上させるためには必要なものです。しかし、それはある局面では不幸を呼び込む要因とさえなることがある。これは、「程度問題」や「さじ加減」というものではありません。自尊心(または「勝他の念」)とは、本質的に不幸を呼び込む「因」でもあるのです。それを「弱さ」あるいは、「悪」という側面から考えてみたいと思います。

弱さといい、悪といい、この両者は相通じ合っているところがあると思われます。しかし、「弱いことは悪いことである」と言いたいのではありません。この両者は、人間は本質的に備わっているものだという点で、「相通じ合っている」と思われるのです。

イエスと釈尊という、人類規模での「偉大な師」の立ち振る舞いから見えてくることとは、この「弱さ」と「悪」という本質は、否定し「捨て去る」ものとしてではなく、むしろ直視し、「受け容れる」ことこそが、望ましい態度だろうということです。

中国仏教の大家である天台の教学(=仏教理論)に、「一念三千」論というものがあります。これは大まかに言うと、森羅万象のことごとくが、一瞬の生命(=一念)に全て否定されることなく包含されるということを述べているものです。この理論は、実は万人の成仏へと道を開いているものです。悪人や女性、二乗(=知識人やエリート)が、ある種の経典では成仏が許されていなかったことを想起してください。

イエスといい、釈尊といい、ユダと提婆達多という「高弟」たちの裏切りによって、生命の危機に直面しました。しかし、その裏切りと救済のエピソードが示すものは、かえって「弱さ」と「悪」さえもが、人間にとって必要欠かせざるものとして、個々の生命の内奥に住しているのであって、それを否定したり捨て去ろうとすることなのではなく、受け容れることで、人格を全うすることが大切だということなのだろうと思います。

そして。人間には、「不幸」の因と思われるものさえもが、「愛」や「成仏」、即ち「幸福」へと転じていく「ちから」があるのだということが、彼ら4人が発しているメッセージなのだと思うのです。

          *       *       *

今回は、あくまでも「試論」としてまとめてみました。いささか「筆が滑った」ところもあろうかと思いますが、若松さんと宮本さんを相次いで読んだ中で、ユダと提婆達多に続けて出会ったことは、「偶然」ではない何事かを感じてしまっています。

「100分de名著」の『福音書』の回が終了したことで、一連の「キリスト教と仏教」の並置については今回で一旦終了します。お読みくださいまして、ありがとうございました。

最後に、これらの論稿の端緒となった「語り」を導き、おつき合いしてくださった方々には、甚深の謝意をお伝えしたいと思います。本当にありがとうございました。

 

この続きはcodocで購入