考える冒険

※「信ずることと、知ること。」から引っ越してきました。

【読了日記】岩波ジュニア新書『10代が考えるウクライナ戦争』を読んで

こんにちは。

岩波ジュニア新書『10代が考えるウクライナ戦争』を読了しましたので、簡単にコメントを残しておきたいと思います。

この本は、5つの中高で行われた座談・討論を中心として、奈倉有里さん、池上彰さんの寄稿、及びキーワード集、地図、年表、ブックガイドが添えられているものです。ロシアによる軍事侵略が開始されてから1年が経ち、この戦争をどう考えたらいいのか、何か読みたいと考えて手にしたものです。決め手となったのは、刊行日の新しさでした。

参加した中高は、以下の通りです。カッコ内は、座談や討論が行われた日時です。

①都立国際高等学校(22/09/27)
早稲田佐賀高等学校(22/09/13)
③愛知県立豊田南高等学校(22/10/06)
渋谷教育学園渋谷中学高等学校(22/10/04) ※4グループに分かれて実施。
⑤玉川聖学院高等部(22/09/27,29)

どの学校の生徒さん方も、よく勉強されているし、問題意識や共感力は高いのですが、いささかの違和感を覚えたのは、その「ものわかりの良さ」でした。むしろ、よ過ぎるのです。

座談や討論が行われたのは9月末から10月初めだったので、多少「慣れ」てしまったというところもあるでしょう。しかし、もっと率直な嫌悪や反感が吐露されていてもよかったのではないかと思われました。そういう意味では、残念な感じさえ残ったのです。

一方、2つの寄稿は、それぞれ

ウクライナ情勢をどう見るか―—学問と文化の視点から(奈倉有里)
⑦21世紀の理不尽な戦争をどう考えるか(池上彰

と題されています。まず、⑥(=奈倉稿)から。

起稿されてほどなく、政治学者のエカテリーナ・シュリマンの言葉が引かれます。つまり、

「「なぜ(戦争が)起きたのか」の答えは、もはや止めるべきときに権力者を止めることができない社会構造になっていた」からです

つまり、権力に対する抑制が不充分であり、ブレーキが効かないことが問題なのだという点についてです。そして、奈倉さんご自身は、結びとして

学問や文化は、支配者とは異なるそれぞれの枠組みを基準とし、世界規模で互いを理解し協力しあうための可能性を持った営みとして、その自律性を保障されなくてはいけないのです

を掲げています。民衆は、支配者の起こす戦争に反対する権利があり、その抵抗の原理、拠点として、学問や文化が自律的に機能していなくていはいけないということでしょうか。

続いて池上稿です。この稿でも、高校生たちの「ものわかりの良さ」についての疑念が表されていました。そして、

今回の最大の問題は、国民から選挙で選ばれた指導者が、他の主権国家を武力で侵略したということです

とされています。

このような事態について、「正しい答え(方)」を探そうとするのではなく、また、自分の中の違和感や怒り、嫌悪感を飼い慣らすことなく考えることこそが大切なのだと池上さんは言っているように思われました。

「この手の」話題について、よく「知ることが大切」「自分でできることは何?」という言い方がされることがあります。しかしむしろ、知ったところで何かが変わるとも思えないという、怒りにも似た焦燥感を、避けてはいけないと思います。それこそが、考え、知ることの源泉となるだろうからです。

          *       *       *

今回は以上といたします。最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた。

もし、「よかった」と思ってくださいましたら、以下をクリックなさってください。励みとなります。

 ↓↓↓