考える冒険

※「信ずることと、知ること。」から引っ越してきました。

『高校生からわかる社会科学の基礎知識』~(2)第1章 近代科学

こんにちは。

今回も『基礎知識』について検討を加えて行こうと思います。まずは、第1章で扱われている項目を把握するために、「見出し」に注目してみます。

  1. 科学の成り立ち
    1. 宗教色の濃い世界
    2. 中世の西欧は暗黒時代か
    3. 古代文化の再生
    4. 科学は人々の営みの連なり
  2. 科学の性質
    1. 科学の宗教的な側面
    2. 近代のおごり
    3. 戦争は大きくなったが回数は減った
    4. 近代科学を縮小することの難しさ

2節の中に、それぞれ4つずつの「項」が立てられていました。わずか10ページの記述で、科学史の全領域をカバーすることはできませんので、これはかなり大胆な省略を施したものと思われます。

まず、いわゆる「世界史」においての常道であるギリシア・ローマ時代が、ほぼ省略されています。この書は、「近代」をクローズアップしているので、「前近代/近代」という対比を強調したかったのかもしれませんね。

以下では、ぼくが補足しておきたい項目について、それぞれ記述しておきたいと思います。ここでも重ねておきたいのは、ぼくが依拠しているのは、かなり古い読書体験ですので、アップデートされている可能性が非常に高いということです。ですので、ご興味をお持ちいただいたイシューについては、各位でお調べいただきたいということです。

前近代をどう見るか

ぼくが在学していた当時の歴史教育は、おおよそギリシア・ローマ時代の栄光が、キリスト教によって覆い隠されていたが、それが宗教改革ルネサンスによって覆いが剥がされて、近代が開花していった」というようなものでした。中世が取り上げられるとしても、あくまでも近代を用意していたものとしての扱いだったように思われます。

しかし、それは「近代」と「ヨーロッパ」を是として、世界と歴史の中心に据えた場合の「見方」に過ぎず、後年相対化されていったと言えると思います。つまり、「近代」や「ヨーロッパ」、「科学」についての真剣な反省に立ったことにもよりますが、それ以外の「中世」「イスラーム世界」等が、独自の価値を持ったものという認識が広く共有されるようになったということです。

いわゆる「近代科学」を駆動したもの

次に押さえておきたいのは、「科学」というものも、固有の歴史的な文脈において発生したものであって、人類史が必ず到達するべき「普遍的な知」の体系とは限らないということです。誤解を恐れずに言えば、「近代型」「ヨーロッパ型」の学問のあり方であるということです。つまり、イスラームや中国、あるいは古代等の地域や時代には、それぞれ「固有の」学問の体系があったということです。

しかし、近代科学はその効果があまりにも絶大であったがために、そこに至ることこそが、唯一の正解であるというような歴史観、学問観が力を持ってしまっていたということです。

ここでは詳述を避けますが(というよりむしろ「できない=力不足」)、近代・ヨーロッパ型の学問体系、つまり近代科学(特にその先駆者たち)を駆動していたものは、キリスト教への信仰だったという研究成果も多いということです。

しかしながら、本書でも「おごり」等と記述されているような問題点がその後露呈するようになったということは、読者の日常的な感覚にフィットするもとの思われます。

科学が内包している問題について

では、その「近代のおごり」としての問題点には、どのようなことがあるのでしょうか。この記述では、そこをスケッチした上で稿を閉じようと思っています。ここでは、

①専門分化による問題、
②巨大化による問題、
③「支配」への動機づけを内包しているということ

の3点を指摘しておきます。

①専門分化による問題

科学史を見てみると、まず神学と哲学が「離婚」したように見え、そこからまず人文諸学が独立、さらに経済学を筆頭とした社会科学が独立といった、分派の歴史として押さえることができます。経済学なら経済学の中でも、どんどん専門分化は進んでいきます。

しかし、その一方では「全体」への目配りができなくなるという事態も進行していきました。

②巨大化による問題

科学は技術を介して産業と結びつきました。その結果として、スケールが大きくなっていきます。特に、2つの世界大戦という契機を経て、「巨大」産業化が決定的となったと思われます。その象徴であり、一つの帰結は、かのマンハッタン計画すなわち、原爆の開発でした。科学は、そこへ至る道筋を、ベクトルとして内包していたと言ってもいいと思うのです(だからと言って、悪者扱いはできませんが)。

③「支配」への動機づけを内包しているということ

科学とは、まずは「自然」を把握し、コントロールつまり「支配」しようという動機を含んでいるものです。それは安定をもたらしはしましたが、問題も引き寄せました。

また、その「支配」の対象とは、「社会」や「人間」にまで及んでいたと言わざるを得ません。この①~③の問題の複合が、のちに「地球的問題群」と言われる事態を引き起こしていると言っておいていいと思います。

そうしたいちいちについて、歴史を振り返り、全体としての社会科学を学ぶことで、点検する視座を持つことができると考えています。しばらくブログにもおつき合いくださいますと幸いです。

          *       *       *

今回の記述は以上といたします。最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!

 

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