考える冒険

※「信ずることと、知ること。」から引っ越してきました。

『高校生からわかる社会科学の基礎知識』~(1)「まえがき」と「序章」から

こんにちは。

まだどうするか決めあぐねているのですが、大塚久雄さんの『社会科学における人間』(以下,、『人間』)の第3部(ウェーバーの宗教社会学編)と、酒井峻一さんの『高校生からわかる社会科学の基礎知識』(以下、『基礎知識』)について、いまは適宜書き分けていきたいと思っています。今回は『基礎』の「まえがき」と「序章」を読んでの「メモ」程度のことを書いてみようと思います。おつき合いください。

構成

まえがき

序章 社会科学とは何か

  1. 社会の科学的な見方
    1. 社会の共通性
    2. 社会の不安定性
  2. 近代とは何か
    1. 近代化と近代科学
    2. 西欧の飛躍と学術の発達
    3. 時代区分としての近代と実質面の近代

          *       *       *

『基礎知識』のようなものが書かれる場合、何を書くか、どこまで、あるいはどこから書くかというのは、なかなかに難しい問題かと思います。それによって、その書籍ないし作品の性格は、まるで変ってきます。

上でわかる通り、本書では、「社会」「科学」「近代」が、最重要単語と位置づけられていることはうかがえると思います。そこで、面倒ではありますが、その3つと「社会科学」の概略を押さえてみようと思います(が、それはそれぞれに1冊の本が書けるようなテーマなので、それをやろうとするのは「暴挙」としか言いようがないです)。

なお、この3つないし4つの「概略」は、ぼくがいろいろ食い散らかしてきたことの「まとめ」的な内容となりますので、反論は受けつけません(笑)。

「社会」について

これから書こうとする「社会」「科学」「近代」のそれぞれは、実はもともとの日本語の語彙(=やまとことば)には「なかった」ものであることを、最初に指摘しておきたいと思います。お察しの通り、明治期に西欧文明が流入してきたとき、中国語である漢字を借りてきて、いわば合成したものです。西周福沢諭吉らの苦闘については、岩波新書に『翻訳語成立事情』(柳父章)という優れた解説書があります(手放してから、もう何年も経ってしまっているので、再読してみたいと思っています)。

「社会」は、いわば「造語」であった。つまりは、この言葉ができるまでは、それが指し示そうとしている「実態」は、日本にはなかったということになります。では、元の「ソサエティ」はどんなものであったのか。実は、西欧にあっても、ソサエティは近代になってから見出された、ないし、再定義されたものと言って、差し支えないと思うのです。

西欧近代が見出そうとした「ソサエティ」とは、極論をすれば「人工的な人々の結びつき」ということです。人工的であるとは、「ある目的」のために集まった、より近い語感を伴う言葉を選ぶとすれば、「結社」というのがふさわしいかもしれません。実際、ソサエティの「訳語」の候補としては、この結社や会社というものがあったそうです。

その「ある目的」とは、端的に言えば(宗教戦争の時のような)「殺し合い」を回避することであり、相互いに「幸福」を目指そうとすることであったとまで言っていいと思います。そのようなものとして、「作られた」集団として「社会」は見出されたということは、念頭に置いておいていいことだろうと思います。

「科学」について

次に、「科学」について確認しておきます。ぼくたちの語感からすると、「科学」とは「正しいこと」「まちがいのないこと」であることと、ほぼ等価だろうと思っています。それは、「科学的/非科学的」であるという言い方からも類推されるだろうと思うのです。しかし、例えば科学「ではない」学問というものもあるわけです。美学とか、文学とかがそれです。もちろん、それらが「科学的方法」を取り入れているということはあります。

さて、この「科学」というのも「サイエンス」の翻訳語です。極めて大ざっぱに言うと、科学とは、誰もが同じ手順を正しく踏めば、同じ結果が再現されるような論の立て方ということになるでしょうか。

そして、それは「対象」によっても、「方法」によっても著しく「専門分化」していっている、少なくともその傾向を孕んでいる論の立て方・ものの見方であると言っていいと思います。

これが最も成功している領域が、物理学や天文学、医学といった、主として自然現象として把握される領域であって、それ(自然科学)を後追いしているのが、社会を対象としている社会科学であるという理解でよろしいかと思います。

「近代」について

この稿の結びとして、「近代」についても述べておきたいと思います。もう少しおつき合いください。

先に述べた二つのこと、「社会」にせよ「科学」にせよ、西欧のある時期以降を特徴づけるものでした。逆に言うと、「社会」と「科学」が成立した時代こそが「近代」であるということさえできるわけです(お察しがつくかもしれませんが、この「近代」も「翻訳語」の一つです)。

この、時代区分としても際立っている「近代」への移行について論究するのを「近代化論」ないし「社会変動論」ということがあります。社会科学の重要な柱(という割には、この『基礎』は社会学を直接扱っていませんが)である社会学は、この近代化論は主要な関心事の一つでした。

しかしながら、この「近代」もほころびが見え始めています。それについて、諸学がどう対応するのかを見届ける必要があると思います。そのためにも、基本や原理原則に立ち返ってみることも、また必要だと考えるものです。

          *       *       *

今回はここまでといたします。最後までお読みくださり、ありがとうございました。次に『基礎』を取り上げる場合は、「第1章 近代科学」の2つの節を扱うことになると思われます。どうぞよろしくお願いいたします。それではまた!

 

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