考える冒険

※「信ずることと、知ること。」から引っ越してきました。

読書会に「新展開」の予感?

こんにちは。

昨日(11月14日)、区の社会福祉協議会(以下、社協)主催による連続講座を受講してきました。地域生活支援センター(以下、地活)の施設長さんと利用者さん計2名さまが、支援の現状について話してくださいました。

この講座の会場は、地活の入っているビルの中にあって、さらに、区のボランティア団体の活動を支援したりする窓口も入っていました。

今回のブログでは、その連続講座についてのレポートをするのではなくて、ふとした思いつきからアクセスしてみた、ボランティア団体の支援窓口の担当者さんとのやりとりで得た着想等について書くことにいたします。

私は既に、月曜と火曜に月2回ずつと、毎週木曜の4~5回、計10回弱の読書についてのイベントをオンラインで実施しています。一昨日までなら、その萌芽さえなかった着想とは、この読書会「等」についての「主催団体」を、「ボランティア団体」として団体登録してみようかということです。以下、それをするメリットについて考えてみます。

最も大きなメリットは、対面での読書会の会場を、お安く利用できるのではないかということです。今年の試みとして、1月から7月の奇数月(=計4回)に対面での読書会を開きました。一定のクオリティ(テーブルがある、駅から近いなど)の会場をレンタルするとなると、時間辺り¥1000近くかかってしまっていました。そうなると、会費をそれなりにお預かりすることになります。これが低廉に抑えられないかということが一つです。

また、場所と開催サイクルがある程度一定できれば、認知もされやすいのではないかと考えます。認知・周知という点では、区サイドの広報に載せることもできるのではないかと思うのです。そういった「メリット」があろうかと思っている次第です。また、既存の団体・グループと連携してみることで、地域にネットワークが構築できるかもともうかがいました。

結果的に話は順調に進んで、社協側の担当者さんがお一人、11月21日(火)20時からのオンライン開催の回を「見学」に来ていただくこととなりました。この話、進展があればまたご報告したいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。お読みいただき、ありがとうございました。それではまた!

 

【イベント報告】ソコロワ山下聖美さんのご講演を拝聴して。

 

 

こんにちは。

昨日(11月11日)、練馬区立小竹図書館で開催されたソコロワ山下聖美さんの講演会に参加する機会を得ました。今回のエントリーは、その感想を軽くまとめたものとなります。

講師は、Eテレ「100分de名著」で宮沢賢治の回を担当された方で、その点からも期待を持って参加いたしました。時間が取れず、事前にご著書を拝読することができなかったことは残念でしたが(そして、まだできていない!)、今後読了ができるよう努めたいと思っています。

 

 

講師の勤務先である日大芸術学部と、会場となった小竹図書館とは、徒歩で10分弱の距離にあります。おそらくそのご縁で今回の開催となったのではなかろうかと思います。会場は20名を超す参加者で溢れていました。

上掲の画像の通り、没後90年となる宮沢賢治の作品と生涯について述べていただきましたが、ことに、

  1. 未完成という「完成」と、「わからなさ」が生む「読み」の多様性、
  2. 個性的なオノマトペ、
  3. 共感覚ということ

などを中心に講演は進められていきました。後半は、『銀河鉄道の夜』の題材とした鑑賞を主として進められ、最後に若干名からの質問を受け付けて終了となりましたが、私も質問をさせていただきました。

「共感覚」というのは、異なる複数の五感を同一の対象から、同時に受け取ることと理解しました。例えば、文字に色や音を感じたり、絵画から香りを感じるということのようです。私はこれは、哲学者の中村雄二郎さんが述べていた「共通感覚」とも相通ずるものなのではないかと考えました。

また、賢治と同時代を生きた作家、芸術家には、今日では「診断名」がつくケースがあるだろうというご指摘がありました。これには病跡学的なアプローチも有効なのではないかと考えた次第です。

私がした質問は、「読み」の多様性ということについてです。賢治の作品には、明示的な主題やテーマがあるものが少ないようですが、それは返って、読みの多様性、多義性、重層性へと開かれているとのことでしたが、それなら「でたらめ」で妥当ではない解釈との一線は、どのようにして引いたらよいのかについてお尋ねしました。

先生は、「テキストから離れない」ことが第一だとおっしゃっていました。また、これは私の印象なのですが、自分の「読み」からも離れることなく、それを信頼することも大切なのだとお答えいただいたように思えました。その点については、修正すべき点があればご指摘を賜りたいと存じます。

総じて楽しく、有意義な語らいの場だったと感じております。機会をご提供いただいた関係各位に深謝いたします。ありがとうございました。

 

 

【読書メモ】岩波ジュニア新書『扉を開く哲学』目次

 

 

こんにちは。

23/11/07(火)から上掲著を読み始めました。読書にあたっての一助となるように、以下に目次を書き記しておきます。

*       *       *

  • はじめに
  • 第1部 いま古典を読む意味って、何ですか?
    • 1 古典って何ですか?
    • 2 時代も社会状況も違うのに、現代を生きる自分たちの約に立ちますか?
    • 3 人に聞いたりネットで検索した方が、早く答えが見つかりませんか?
    • 4 なぜ大人はよく「古典は大切だ」と言うのですか?
    • 5 正直言って、まったく興味がわきません
  • 第2部 人生の鍵は、古典の中にある!
    • 1 人の意見にすぐ影響されてしまいます
    • 2 親との関係に悩んでいます
    • 3 誰も自分のことをわかってくれない気がします
    • 4 なんのために生きているのでしょうか?
    • 5 本当の自分を見つけたいのですが、どうすればよいでしょうか?
    • 6 死ぬとはどういうことですか?
    • 7 社会の役に立ちたいのですが、どうすればよいでしょうか?
    • 8 勉強するのはなんのためでしょうか?
  • 第3部 10代にすすめる1冊

*       *       *

これから少しずつ、読み進めてまいります。

 

 

 

100分de名著『古今和歌集』~①めぐる季節の中で・視聴之記

こんにちは。

今朝方、Eテレ「100分de名著」再放送の録画、『古今和歌集』の第1回放送分を視聴いたしました。解説は国文学者の渡部泰明さん。たいへん優れた回だったので、その印象を記しておきたいと思います。

 

www.nhk.jp

 

まず、「仮名序」から。

やまと歌は人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけていひいだせるなり。

 

「ことば」を、「種」「葉」と、植物との連想で描いているのがいいと思いました。これについては、中学国語の教材で取り上げられていた、大岡信さんのエッセイが思い起こされます。

つまり、染織家の志村ふくみさんの『一色一生』での桜の色を染めるエピソードの引用を用いて、「思い」と「言葉」との関連を綴ったものです。

桜の(花びらの)色を染め出すには、花びらを用いるのではなくて、冬を経て芽吹く前の枝の皮から染め出すのだということから、人の「思い」も、発せられた言葉だけではなくて、その発せられる前の状態、桜で言えば、枝の皮の状態を豊かにすることがむしろ大切であるとしていたエッセイだったかと思います。私は今回の放送を見ていて、この大岡さんが書かれたエッセイは、『古今集』の伝統を、完全に踏まえているのだなと感じ入りました。

今回の放送は、解説やそれに対する伊集院さんのコメント、アニメ、音楽、朗読、セットや照明のいずれもがすばらしい出来でした。残りの三回も楽しみです。

【23/11/09追記】

解説の渡部さんが、とてもよい本を出されているので「参考文献」としてご紹介しておきます。

 

 

 

 

【レジュメ】100分de名著を語ろう『古今和歌集』①

こんにちは。

ふだんならnoteで「100分de名著を語ろう」(clubhouseルーム)のレジュメを作成しているのですが、今回の『古今和歌集』については、こちらのブログで発表したいと思います。

各回で、10数首ずつの歌が紹介されているようなので、第一義的には、それらの歌の紹介(=引用)に務めることといたします。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

テキスト目次

【はじめに】千年の時を越えて

【第1回】めぐる季節の中で

【第2回】恋こそ我が人生

【第3回】歌は世につれ、世は歌につれ

【第4回】女の歌は「強くない」のか?

第1回 めぐる季節の中で 

※小見出しと各首の連番は引用者によるものです。

1)「仮名序」に綴られた目論見

2)春の気配を喜ぶ

①袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ(紀貫之)

3)見えないからこそ美しさが際立つ

②春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる(凡河内躬恒)

4)業平の大胆な手口

③世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平朝臣)

5)意外性の効用

④見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(素性法師)

6)掛けて、重ねて、人生の深みを詠む

⑤花の色はうつりにけりないたづらにわが身よにふるながめせしまに(小野小町)

7)風流ではない夏を詠む

⑥五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする(よみ人知らず)

8)夏歌の親子対決

⑦ほととぎす初声聞けばあぢきなくぬし定まらぬ恋せらるはた(素性法師)

⑧はちす葉の濁りにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく(僧正遍昭)

9)ちいさい秋、見つけた

⑨秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行朝臣)

⑩月見ればちぢに物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど(大江千里)

10)和歌で競う大人のゲーム

⑪秋風の吹きあげにたてる白菊は花かあらぬか波のよするか(菅原道真朝臣)

11)平面の絵を歌に詠む

⑫立ちとまり見てをわたらむもみぢ葉は雨とふるとも水はまさらじ(凡河内躬恒)

12)凍てつく冬に春を探す

⑬冬ながら空より花のちりくるは雲のあなたは春にやあるらむ(清原深養父)

⑭昨日といひけふとくらしてあすか川流れて早き月日なりけり(春道列樹)

*       *       *

今回紹介されているのは以上となります。お読みくださり、ありがとうございました。それではまた!

 

 

 

 

 

 

森川すいめいさんを迎えたイベントに参加して(23/10/31)

こんにちは。

本日(23/10/31)開催された、「ひきこもり当事者・家族の居場所『カタルーベの会』」主催による森川すいめいさんを招いてのイベントに参加してまいりました。告知では、「ひきこもり当事者」とそのご家族向けのものという色合いが強かったのですが、いわゆる「講演会」ではなくて、2~8人程度のグループでのワークがメインのものとなりました。

私は、森川さんのお名前も「オープン・ダイアローグ」という言葉も多少知っていたので、いくつか念頭に置いた上での参加となりました。つまり、

①オープン・ダイアローグは、カウンセリングやコーチング、コーピング等とどう違っているのか、
②オープン・ダイアローグは、希死念慮を抱いている人には有効なのか、
③読書会のファシリテーターとして活かせる点はないか、

について確認できればと思っていたのですが、参加者がみなさん積極的で、これらを質問する余地がありませんでした(アンケートに記載ができたので、書いておきましたが)。

始めに行ったのが、一対一の「聞く/話す」を5分ずつで交代するセッションでした。ここでは、一方がまず5分間、思いつくままに「話」し、もう一方は「聞く」に専念する。この時、「聞く」側は質問やジャッジはしないということを特に念頭に置いて行われました。これを一往復。「聞く」と「話す」を「分ける」ことを体感していただきたいとおっしゃっていました。

このあとも、6人にグループを再編してのセッションを3~5回程度行ったのですが、この手の作業が、既にできてしまう(と思い込んでいる)私としては、身についていると思っている傾聴技法とどう違うのかが、今ひとつわからないままでいます。再度、森川さんのご本なりを読んでみたいなと思いました。

今回はここまでで公開といたします。お読みくださり、ありがとうございました。それではまた!