考える冒険

※「信ずることと、知ること。」から引っ越してきました。

【イベント報告】ソコロワ山下聖美さんのご講演を拝聴して。

 

 

こんにちは。

昨日(11月11日)、練馬区立小竹図書館で開催されたソコロワ山下聖美さんの講演会に参加する機会を得ました。今回のエントリーは、その感想を軽くまとめたものとなります。

講師は、Eテレ「100分de名著」で宮沢賢治の回を担当された方で、その点からも期待を持って参加いたしました。時間が取れず、事前にご著書を拝読することができなかったことは残念でしたが(そして、まだできていない!)、今後読了ができるよう努めたいと思っています。

 

 

講師の勤務先である日大芸術学部と、会場となった小竹図書館とは、徒歩で10分弱の距離にあります。おそらくそのご縁で今回の開催となったのではなかろうかと思います。会場は20名を超す参加者で溢れていました。

上掲の画像の通り、没後90年となる宮沢賢治の作品と生涯について述べていただきましたが、ことに、

  1. 未完成という「完成」と、「わからなさ」が生む「読み」の多様性、
  2. 個性的なオノマトペ、
  3. 共感覚ということ

などを中心に講演は進められていきました。後半は、『銀河鉄道の夜』の題材とした鑑賞を主として進められ、最後に若干名からの質問を受け付けて終了となりましたが、私も質問をさせていただきました。

「共感覚」というのは、異なる複数の五感を同一の対象から、同時に受け取ることと理解しました。例えば、文字に色や音を感じたり、絵画から香りを感じるということのようです。私はこれは、哲学者の中村雄二郎さんが述べていた「共通感覚」とも相通ずるものなのではないかと考えました。

また、賢治と同時代を生きた作家、芸術家には、今日では「診断名」がつくケースがあるだろうというご指摘がありました。これには病跡学的なアプローチも有効なのではないかと考えた次第です。

私がした質問は、「読み」の多様性ということについてです。賢治の作品には、明示的な主題やテーマがあるものが少ないようですが、それは返って、読みの多様性、多義性、重層性へと開かれているとのことでしたが、それなら「でたらめ」で妥当ではない解釈との一線は、どのようにして引いたらよいのかについてお尋ねしました。

先生は、「テキストから離れない」ことが第一だとおっしゃっていました。また、これは私の印象なのですが、自分の「読み」からも離れることなく、それを信頼することも大切なのだとお答えいただいたように思えました。その点については、修正すべき点があればご指摘を賜りたいと存じます。

総じて楽しく、有意義な語らいの場だったと感じております。機会をご提供いただいた関係各位に深謝いたします。ありがとうございました。