考える冒険

※「信ずることと、知ること。」から引っ越してきました。

ドラマDVD『心の傷を癒すということ』を見る

こんにちは。

阪神淡路大震災が起きたのは1995年1月17日。既に30年近くも前のことになります。「その日」の前後、関西方面限定でNHKドラマ『心の傷を癒すということ』編集版が単発で放送されました。それがNHKプラスで、全国で配信されるとTwitterで知り、ぼくはまず、このサービスを利用して編集版を視聴しました。

しかし、やはり全4話を見たくなりました。始めはセル版を入手しようとも考えましたが、幸いTSUTAYA DISCASで上下2枚のDVDとしてレンタルできることを知って、都合2便に分けて視聴いたしました。やはり、全編を見ておいて損はない、むしろ「必見」と言ってもいいと思っています。

 

 

ドラマは、若き精神科医・安和隆を主人公にしたものです。モデルはガンとの闘病の末に逝去された故・安和昌さんで、ご本人による同名の著作が「原案」とされています。

安さんは、震災当時在籍していた神戸大学の医局にあって、今でこそ一般的と言っていいくらいになった「心のケア」の「陣頭指揮」をとっていたと言える存在です。このドラマでは、和隆の少年期から、師・永野との出会い(中井久夫さんがモデルです)を経て、奥様との出会い、震災時の奮闘、闘病と死去などを描いています。以下、おおまかな筋をご紹介しますが、いわゆる「ネタばれ」になると思いますので、それを好まない場合は他のページへ遷移してください(笑)。

1)少年期

和隆は、在日韓国人の「実業家」の次男として生まれました。「 」で括っていることに注意してください。実業家と言うと、比較的裕福な家庭を連想するかと思うのですが、「在日」であった和隆の父親は、就職できず、自らが事業を興すよりほかに生きてこれなかったのです。在日であることを、和隆は小学生の時に知ることとなります。

2)師・中井との出会い

和隆は、高校在学中に、既に精神科医・永野の著作を読みふけっていました。果たして医学部へと進学した安さんは、永野の門を叩きます。しかし、それは父親の意に沿うものではありませんでした。当時、まだ精神科についての偏見があって、それは精神科医に「なること」への偏見ともなっていたのです。この時代、和隆はのちに妻となる終子とも出会います。

3)震災

1995年1月17日、神戸大学の医局長として奮闘していた和隆は、自宅で震災に遭います。病院は「野戦病院」状態でした。ここで和隆は、被災者には「心のケア」が必要不可欠であることを悟ります。

今でこそ、災害時の心のケアは、その重要性が広く知られていますが、当時はまだ未開拓の領域でした。作中では、避難所を訪れ、一人ひとりの被災者に「ひざ詰め」で向き合う和隆の姿が丁寧に描かれていきます。

4)闘病

しかし和隆は、自身を襲った病魔とも闘いました。ガンです。その闘病中に第三子を得ますが、和隆は息を引き取ります。

彼は、のちに広く知られることになるPTSD解離性同一性障害についての研究を進めたほか、新聞に被災地からのレポートを連載して単著を著しました。これがドラマの「原案」となります。

5)まとめ

ドラマを見るにあたっては、師である中井久夫さんとの関係や、PTSDなどについての「予備知識」はあった方がいいことは言うまでもありませんが、なしのままでも十二分に鑑賞できると思います。おススメです。

編集版と全話を比べると、編集は秀逸ではあるものの、やはりカットされているエピソードにも重要と思われるものはありました。その一つが、幼少期の虐待で解離性同一性障害を引き起こしていた女性被災者との出会いがきっかけとなって、研究を進めていたということです。

あと、2枚目にはEテレが組んだ安克昌さんのドキュメントが丸々1本収録されていて、それがまた必見レベルです。作中にも出てくる3人の登場人物のモデルが、安さんについて語ります。これには痛く打たれました。また、先に触れた解離性同一性障害の研究仲間(大家でびっくりしました)が共訳にあたった著作を紹介しています。重要な番組を収録してくれていたことには、感謝しかありません。

なお、原案となった安さんのご著作については、いつか必ず目を通してみたいと考えています。

 

 

今回の記述は以上としたいと思います。最後までお読みくださりありがとうございました。それではまた!