考える冒険

※「信ずることと、知ること。」から引っ越してきました。

社会科学における人間

大塚久雄『社会科学における人間』(3)マルクスの経済学における人間②

こんにちは。 今回の記述で、大塚久雄『社会科学における人間』の第2編「マルクスの経済学における人間」を完結させる予定です。その後については、「ウェーバー(本文中ではヴェーバー」ですが)の社会学における人間」に直進せずに、以下に掲げる本を何人…

【中休み】何で『社会科学における人間』にこだわり続けているのか?

こんにちは。 このブログを2月26日に新設したところ、しばらく懸案として置いておいた大塚久雄さんの『社会科学における人間』についての考察が、自分の中で流れ始めました。また、昨夜遅くのネット通話で、この本を最初に読んだ1982年以来、40年の長きにわ…

大塚久雄『社会科学における人間』(2)~マルクスの経済学における人間①

こんにちは。 今回も引き続き、大塚久雄さんの『社会科学における人間』について取り扱います。おそらくは、第2部にあたる「マルクスの経済学における人間」を2回程度に分けて書いてみることになろうと思います。 前にこの本を取り上げようとした際、この部…

大塚久雄『社会科学における人間』(1)~「ロビンソン物語」に見られる人間類型

こんにちは。 今回から大塚久雄さんの『社会科学における人間』(岩波新書)の本論についてご紹介してまいります。すでに書いているつもりですが、ぼくはこの一連のブログ記事でしたいと思っているのは、「名刺代わりの10冊」についてのご紹介をしたいという…

大塚久雄『社会科学における人間』(0)への追補

こんにちは。 先に書いた「大塚久雄『社会科学における人間』(0)」について、一度追記をした上で再公開しているのですが、ご質問等を頂戴しましたので、さらに追記をいたします。本編に入るのは、次回以降のUpとなりそうです。ご了承ください。 今回は、 1…

大塚久雄『社会科学における人間』(0)

こんにちは。 昨年(2022年)の10月ごろでしょうか、「#しおりを挟む」という企画を思い立ちました。これは、ぼくの「名刺代わりの10冊」について語ることを口実として、ぼく自身について語ろうという企画でした。しかしながら、2冊めに取り上げようとした大…