考える冒険

※「信ずることと、知ること。」から引っ越してきました。

【鑑賞メモ】金曜ロードショーで、『もののけ姫』を見る

こんにちは。

23/07/21(金)の金曜ロードショー枠で、夏恒例のジブリ作品のオンエアがありました。今夏は、『風の谷のナウシカ』『コクリコ坂から』に続いての『もののけ姫』でした。

 

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この作品は、初上映に際して劇場で鑑賞しました。まだシネコン形式が主流になる前の新宿でのことです。1997年といいますと、25年以上も前のことなんですね・・・。

さて、私はこの作品に接した時に、絶対網野善彦と関係ある!と確信していたんですが、パンフレットには、その網野さんと監督との対談が掲載されていましたし、メイキングビデオでは、網野さんの本を読んだ上で製作にかかっていたことが、ハッキリと語られていました。

この稿では、今回の鑑賞(と言っても、ところどころ気を抜いていたんですが)で気がついたことも含めて、「自分のため」のメモを書き残すつもりです。論じ尽くされていることだろうとは思いますが、少しお付き合いくださいますと幸いです。

          *       *       *

  1. アシタカたちの集落はどこにあったか?
  2. 髪を切ったアシタカ
  3. 果たしてこの時代設定は?
  4. 緑は「蘇った」のか?

このあたりのことについて考え直してみました。

          *       *       *

1.アシタカたちの集落はどこにあったか?

セリフの中から探ってみると、「北と東の境」「ヤマトとの戦いに敗れて250年」「エミシの~」等がヒントになろうかと思います。少なくとも、北関東以北と思われるのですが、どうでしょうか(不確実なことを述べるのは、マイノリティへの攻撃となってしまいますので、これ以上は控えますが)。

2.髪を切ったアシタカ

タタリ神の呪いを受けたアシタカは、近い将来、集落の重要な地位を任されることが確実であり、婚約者らしき娘もありながら、出立することになります。これは、タタリ神の呪いが、集落=共同体に及ぶことを避けてのことと思います。

ここで「髪を切る」ことは、この共同体の「外」に出ること=異人となることを意味し、それは共同体の構成者としての「死」と同等だと考えていいでしょう。顔を隠し、誰に知られることもなく(=見送られることなく)出立したのには、こうした事情があるからだと思います。

禁じられていたにも関わらず、カヤや見送り、「分身」だといって宝玉を手渡しますが、アシタカは、それをサンに渡してしまいます・・・。

3.果たしてこの時代設定は?

ヤックルのような架空の動物が出てきますが、この作品の舞台は、日本史のある時代がモデルである可能性が濃厚です。私は作品の鑑賞以前に、中世史家の網野善彦さんを数冊読んでいたので、作品への影響が強いことを鑑みて、室町期であろうと推察しています。

エボシのセリフに「明国のものは重すぎる」というものがありましたし、村落の形成状態や火縄銃を大きくしたような武器の使用状況、武家政権と朝廷との権力バランス等などが傍証となります。

また、おそらくはハンセン病と思われる人々を隔離して住まわせていたこと、売られていた娘たちをエボシがかくまって働かせ、一種のアジール(=避難所)あるいはサンクチュアリ(=聖域)を形成していることなどからも、網野学説を大幅に取り入れた設定であったと言っていいと思われます。

4.緑は「蘇った」のか?

生と死の双方を司るシシ神が首を撃ち抜かれた後、その「体液」のような物に触れた草木は枯れ、生き物は死に絶えていました。サンとアシタカによって首が差し出され、物語はひとまず「終結」を迎えます。山々は再び緑に彩られますが、それは以前の緑が「蘇った」のかというと、そう楽観的には言えないようです。植生が変わっていると見た方がよいでしょう。スギやヒノキの植林が始まったのも、室町期なんだそうです。

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以上、極めてラフではありますが、『もののけ姫』の鑑賞メモを作成してみました。今後、考察めいたものが深まることがあったら再説してみたいと思っています。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!